2010年5月6日木曜日

2010年6月 中国上海カー&ドライバー誌 寄稿 「清水和夫の徒然日記」

中国上海のカー&ドライバー誌、6月号に寄稿しましたコラム記事をアップいたします。


自動車はアバター(AVATAR)化している

最近の自動車は3D映画で有名になったアバター(AVATAR)と同じように作られている。日本では2000年以降トヨタが自動車の開発・生産を急増できたのは、試作品をまったく作らないで開発するデジタル・エンジニアリングを実用化したからである。例えば2000年に登場したヴィッツ兄弟の末っ子「bB」(アメリカではSCION)はお金と時間がかかる手作りの試作車(プロトタイプ)を作らずに、コンピューターの中で3Dの試作車を作り、開発が進められた。トヨタはこのシステムをVCOM(バーチャルコミニュケーション)と呼んでいる。

開発期間の短縮は開発コスト低減に貢献し、激化する国際競争力を高めると期待された。さらにトヨタは本格的なデジタル・エンジニアリングを前進させ、仮想空間で組み付け作業を確認することまで行っている。結果的に「bB」は試作車ゼロ、開発費を大幅に低減し、12ヶ月で開発が完了した。当時トヨタは「サイバー空間での試作回数は従来のクルマの2倍が可能。その結果、2年後のマイナーチェンジレベルまで熟成できる」と品質もさらに高まると期待していた。トヨタは世界中の工場に3Dのデジタル・エンジニアリングを配備し、R&Dと一元化した開発を行うようになった。


軍事技術でデジタルエンジニアリングが生まれた

ところで、こうした3Dのデジタル・エンジニアリングはいったいどこから来たのだろうか。勿論、コンピューター先進国アメリカで生まれた技術だが、この考え方が芽生えたのは1980年代だ。当時はまだウィンドウズもインターネットも生まれる前であり、コンピューターはとても高価であった。冷戦下にあったアメリカの国家戦略は軍事産業が中心であった。原子力潜水艦や航空機あるいはスペースシャトルの開発に、コンピューターは欠かせないツールであった。アメリカ政府はさらにコンピューター開発を進化させるために、デジタル・エンジニアリングという考え方を打ち出した。政官民一体となった研究が行われていたのだ。

例えば、原子力潜水艦を開発・製造するジェネラル・ダイナミクス社は仮想空間で試作するというアイディアを考えついた。このアイディアは戦車を開発製造するターデック(TARDEC)社、航空機のロッキード社も採用していた。まさに軍事大国アメリカならではのハイテク軍事産業であったのだ。

たしかに航空機や原子力潜水艦で試作を作りながら開発を進めるやり方は非現実的だ。試作したりテストする段階で事故が発生したら大変なことになってしまう。なによりも時間とコストが膨大な数字となってしまう。そこで3次元データを使いならが、仮想空間で試作を行い、テストまで行う手法を思いついたのだ。


冷戦終了後、民間企業にデジタル・エンジニアリングが導入

ベルリンの壁が崩壊した1989年、アメリカ政府は民間企業と共にデジタル・エンジニアリングを自動車などの産業界へ転用することを決めた。「製造業を復活させることで強いアメリカを取り戻す」という政府の意志がそこにあった。すでに多くの日本車がアメリカで売れており、ビッグ3は追い込まれていった。

米国自動車産業の復活をかけ1993年にビッグ3とアメリカ政府はコンカレントエンジニアリングを立ち上げ、アイアコッカ率いるクライスラーが真っ先にデジタル・エンジニアリングに飛びついた。そして1994年、1万ドルを切るサルーンカー「ネオン」がクライスラー社から世に送り出したことは記憶に新しい。

1990年代末に合併したダイムラー・クライスラー社は、デジタル・エンジニアリングの分野ではクライスラーがダイムラーに新しい開発を教えていた。1996年のデトロイト自動車ショーでも「2002年までにプロトタイプを作らずに自動車を開発する」と当時の社長であったライツレーCEOがワシントンポスト紙に述べていた。


トヨタの戦略

当時トヨタの関係者は「もしあなたがプラモデルを作るのに10万枚以上の設計図を見ないと作れないとしたらどうしますか。気が遠くなるような作業でしょう」と3Dを使うデジタルエンジニアリングの正当性を主張した。実際にクルマを構成する部品の設計図は30%も多いので、今までは気が遠くなるような仕事をしていたらしい。

従来は設計と生産の間には深い溝があったと言われている。設計部では始めから完全な図面などできるわけがなく、実際には試作部品を作りながら、試行錯誤を繰り返していた。しかし、もうそんな苦労も必要ない。世界中に工場を進出させ、文化の違いや言葉の壁、あるいはサプライヤーの違いを乗り越えるためにも、デジタル・エンジニアリングは不可欠な存在となったからだ。しかしこうしたデジタル化が進んだと同時に、今回トヨタの品質問題が起きたことはとても皮肉であった。