2010年6月22日火曜日

佐治晴夫先生 毎日新聞三重版原稿 2010.6.16

あの佐治先生がはやぶさについて記事を書いてます。なるほどと思いました。
2010年6月16日の毎日新聞 三重版の原稿を転記します。

◇人類初、惑星間の無人往還
漆黒の夜空に明々と光の粉をまきちらし、その下を一本の光の線が走っていきます。日本時間で6月13日23時過ぎ、「はやぶさ」が帰ってきました。自分自身を焼き焦がしながら、人類の夢と冒険と英知が凝縮した直径40センチのカプセルをオーストラリアのウーメラ砂漠に送り届けた瞬間です。宮沢賢治の名作童話、「よだかの星」そのままの感動的な光景でした。

「はやぶさ」の正式名称は「MUSES(ミューゼス)-C(シー)」(ミューロケットで打ち上げる工学実験探査機の略称)、地球から3億キロ離れた小惑星「イトカワ」に2年かけて20億キロの旅をして到達し、小惑星表面の砂を採取して地球に持ち帰る「サンプルリターン」が任務でした。3億キロといえば、地球と太陽との距離のおよそ2倍、光の速さで走る電波でも、往復には40分もかかりますから、地球からのリアルタイムでの遠隔操作は不可能です。そこで、自身の電力や航行、サンプル採取のための着陸誘導などすべてを自律的に行う高度なハイテク技術が積み込まれていました。
それを地球からの遠隔補正でサポートするというハイブリッド航法で、惑星間往復を無人で行った人類最初の探査船でした。しかも、通常のロケットのような化学エンジンよりも10倍も効率のよい世界初のイオンエンジンを使い、核燃料に頼らず、太陽系の星々の引力をうまく利用しながら航行する“スウィングバイ”を成功させました。
それだけではありません。今、話題の東京スカイツリーよりも小さい星に着地してサンプルを採取し、再起不能に近いトラブルを切り抜けて無事に地球に持ち帰ったというのですから、驚くべき快挙です。それらに加えて、03年5月9日13時29分25秒の打ち上げ以来、帰還までの7年1カ月、24時間態勢で、ひたすら相手に寄り添い、「待つ」ことに徹したスタッフたちの姿勢は、まさに人生の教訓をもたらしたといえるでしょう。
事実、サンプル採取後の姿勢制御の不調から5週間も音信不通になり、そのため帰還軌道に乗り損なって3年間、暗黒の宇宙で待機することになった「はやぶさ」、満身創痍(そうい)になりながらも、けなげに帰途についた姿を見守るまなざしは、世間の関心を集め、「はやぶさくん」と呼ばれるようになりました。

実は、今から33年前にNASAによって打ち上げられた宇宙探査機ボイジャーの場合も、太陽系を離れる最後の日に、お母さんである地球を振り返ってほしいと指令をだしたことと重なって感無量です。ボイジャーは、今、地球から160億キロの彼方(かなた)を帰らぬ一人旅を続けていますが、「はやぶさくん」は見事、自らの体と引き換えに、子供でもあるカプセルを地球に届けてくれました。サンプル採取に成功したかどうかは、これからの調査を待たねばなりませんが、たとえ失敗していたとしても、核燃料を使わない将来の惑星間航行の基礎を築いたという意味で、人類初の輝かしい第一歩であったことは間違いありません。(佐治晴夫・鈴鹿短大学長=宇宙物理学)