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2010年12月22日水曜日

2010年12月号 パナソニック(株)社内報【pana】インタビュー寄稿

パソニック株式会社の月刊社内報【pana】にEVに関するインタビュー記事を寄稿しました。











































































2010年5月6日木曜日

2010年6月 中国上海カー&ドライバー誌 寄稿 「清水和夫の徒然日記」

中国上海のカー&ドライバー誌、6月号に寄稿しましたコラム記事をアップいたします。


自動車はアバター(AVATAR)化している

最近の自動車は3D映画で有名になったアバター(AVATAR)と同じように作られている。日本では2000年以降トヨタが自動車の開発・生産を急増できたのは、試作品をまったく作らないで開発するデジタル・エンジニアリングを実用化したからである。例えば2000年に登場したヴィッツ兄弟の末っ子「bB」(アメリカではSCION)はお金と時間がかかる手作りの試作車(プロトタイプ)を作らずに、コンピューターの中で3Dの試作車を作り、開発が進められた。トヨタはこのシステムをVCOM(バーチャルコミニュケーション)と呼んでいる。

開発期間の短縮は開発コスト低減に貢献し、激化する国際競争力を高めると期待された。さらにトヨタは本格的なデジタル・エンジニアリングを前進させ、仮想空間で組み付け作業を確認することまで行っている。結果的に「bB」は試作車ゼロ、開発費を大幅に低減し、12ヶ月で開発が完了した。当時トヨタは「サイバー空間での試作回数は従来のクルマの2倍が可能。その結果、2年後のマイナーチェンジレベルまで熟成できる」と品質もさらに高まると期待していた。トヨタは世界中の工場に3Dのデジタル・エンジニアリングを配備し、R&Dと一元化した開発を行うようになった。


軍事技術でデジタルエンジニアリングが生まれた

ところで、こうした3Dのデジタル・エンジニアリングはいったいどこから来たのだろうか。勿論、コンピューター先進国アメリカで生まれた技術だが、この考え方が芽生えたのは1980年代だ。当時はまだウィンドウズもインターネットも生まれる前であり、コンピューターはとても高価であった。冷戦下にあったアメリカの国家戦略は軍事産業が中心であった。原子力潜水艦や航空機あるいはスペースシャトルの開発に、コンピューターは欠かせないツールであった。アメリカ政府はさらにコンピューター開発を進化させるために、デジタル・エンジニアリングという考え方を打ち出した。政官民一体となった研究が行われていたのだ。

例えば、原子力潜水艦を開発・製造するジェネラル・ダイナミクス社は仮想空間で試作するというアイディアを考えついた。このアイディアは戦車を開発製造するターデック(TARDEC)社、航空機のロッキード社も採用していた。まさに軍事大国アメリカならではのハイテク軍事産業であったのだ。

たしかに航空機や原子力潜水艦で試作を作りながら開発を進めるやり方は非現実的だ。試作したりテストする段階で事故が発生したら大変なことになってしまう。なによりも時間とコストが膨大な数字となってしまう。そこで3次元データを使いならが、仮想空間で試作を行い、テストまで行う手法を思いついたのだ。


冷戦終了後、民間企業にデジタル・エンジニアリングが導入

ベルリンの壁が崩壊した1989年、アメリカ政府は民間企業と共にデジタル・エンジニアリングを自動車などの産業界へ転用することを決めた。「製造業を復活させることで強いアメリカを取り戻す」という政府の意志がそこにあった。すでに多くの日本車がアメリカで売れており、ビッグ3は追い込まれていった。

米国自動車産業の復活をかけ1993年にビッグ3とアメリカ政府はコンカレントエンジニアリングを立ち上げ、アイアコッカ率いるクライスラーが真っ先にデジタル・エンジニアリングに飛びついた。そして1994年、1万ドルを切るサルーンカー「ネオン」がクライスラー社から世に送り出したことは記憶に新しい。

1990年代末に合併したダイムラー・クライスラー社は、デジタル・エンジニアリングの分野ではクライスラーがダイムラーに新しい開発を教えていた。1996年のデトロイト自動車ショーでも「2002年までにプロトタイプを作らずに自動車を開発する」と当時の社長であったライツレーCEOがワシントンポスト紙に述べていた。


トヨタの戦略

当時トヨタの関係者は「もしあなたがプラモデルを作るのに10万枚以上の設計図を見ないと作れないとしたらどうしますか。気が遠くなるような作業でしょう」と3Dを使うデジタルエンジニアリングの正当性を主張した。実際にクルマを構成する部品の設計図は30%も多いので、今までは気が遠くなるような仕事をしていたらしい。

従来は設計と生産の間には深い溝があったと言われている。設計部では始めから完全な図面などできるわけがなく、実際には試作部品を作りながら、試行錯誤を繰り返していた。しかし、もうそんな苦労も必要ない。世界中に工場を進出させ、文化の違いや言葉の壁、あるいはサプライヤーの違いを乗り越えるためにも、デジタル・エンジニアリングは不可欠な存在となったからだ。しかしこうしたデジタル化が進んだと同時に、今回トヨタの品質問題が起きたことはとても皮肉であった。

2010年4月21日水曜日

JAMAGAZINE 2010年春 第44号 寄稿記事【日本自動車工業会】

一般社団法人 日本自動車工業会が発行する季刊誌「JAMAGAZINE」に、エンジンの過給器に関する技術の進化についての記事を寄稿しました。
ここにはダイジェスト版を掲載しておきますので、全文はJAMA Webページのライブラリーにてご覧下さい。

●エンジンを補佐するさまざまな補機類の誕生とその役割                                     清水和夫
内燃エンジンの出力を補ったり、排出ガスのクリーン化のために、クルマにはさまざまな工夫が凝らされている。ここではこうした内燃エンジンを補佐する役割として考案された代表的な技術について説明することにしよう。

○過給器の誕生と進化の道筋
一般的に過給器と言えば、排出ガスのエネルギーを使ってコンプレッサーを回し、空気を圧縮してシリンダーに吸入させるターボチャージャーと呼ばれるものと、クランクシャフトの回転軸から直接コンプレッサーを回して空気を圧縮するスーパーチャージャーがあるが、どちらの技術も現在は実用化されている。・・・・・・

○ターボエンジンの胸のすく加速
ところでターボの歴史を辿ると、意外にも日本では80年代から90年代にかけていろいろなターボ技術が生まれている。日本はターボ立国だった時代があったのだ。
日本で初めてターボエンジンを乗用車に利用したのは1979年の日産セドリックであった。当時はオイルショックに襲われ、エネルギー危機が叫ばれていた時期でもあり、省エネという発想でターボエンジンが乗用車に搭載されたと伝えられているが、大きなエンジンを搭載することなく高出力が得られるターボエンジンは商品戦略上重要であった。・・・・・

○欧州ではディーゼルターボでオイルショックに対応
一方、ドイツでもオイルショックは深刻に受け止められ、自動車メーカーは燃費向上のためのさまざまな技術が研究されるようになった。このころから日本も含め世界中のメーカーで乗用車ディーゼルの開発が進められたが、メルセデスベンツは乗用車用ディーゼルエンジンをターボ化することに成功していた。リーンバーンと高圧縮比が可能なディーゼルエンジンこそ、ターボとの相性が良いことを証明するために、1977年のフランクフルトショーで同社の最高級車Sクラスに300S Dを発表し、ターボ化したディーゼルエンジンのパフォーマンスを世に示した。・・・・・・

○ホンダのF1でターボパワーが作裂
ガソリンエンジンの場合、どうしても「ターボ=高性能」という図式を思い浮かべてしまう。その理由は80年代のF1が影響しているのではないだろうか。当時のF1のレギユレーションでは3ℓの排気量と決められていたが、過給器はその半分なら許可されていた。だれもターボの可能性に挑戦しなかったとき、1977年にルノーはF1に1.5 ℓV6ターボを開発しターボ時代が幕開けした。・・・・・

○ガソリン直噴エンジン
ターボ技術が話題となっていたころ、燃費の良いガソリンエンジンを開発する取り組みが世界的に行われていた。そのひとつの可能性として気筒内直噴エンジンが話題となった。ガソリンエンジンの直噴化は、シリンダー内にガソリンを高い圧力で噴射するために冷却できるメリットがある。その結果、充填効率が高まりエンジン全体の効率が高まるのである。これが直噴エンジンの大きなメリットである。・・・・・・

○ダウンサイジングと直噴ターボ
2005年になるとVWはゴルフ5に1.4gの直噴夕-ボ・TSIエンジンを誕生させた。出力は170ps、トルクは240Nmと2.7gエンジン並みのパフォーマンスであった。 VWの悩みは行き過ぎたディーゼル人気をいかにしてガソリン車に戻すのかであった。このころはまだゴルフよりも下のクラスで使える小排気量のディーゼルがなく、コストを考えるとガソリンエンジンの進化が求められていた。そこでTSIは人気急上昇中のディーゼルTDIに負けないようにすることが必要であったのだ。・・・・・・

○VWはどこまでダウンサイジングするのか
VWのTSIはますますサイズダウンしてきている。このような戦略が取れるのは、TSIに対する信頼感が高いからだ。二作目として登場したのは140ps/220NmのTSIだ。日本ではゴルフ・コンフォートラインとして市販されているが、本国ではレギュラーガソリン仕様のTSIということになる。・・・・・・

○ターボタイムラグとの戦い
ターボエンジンにとってブースト圧が高まるまでのいわゆるタイムラグはドライバビリティの上で重要な課題であった。しかし、最近のターボはタービン本体にいろいろな工夫を凝らしたり、あるいはロー・プレッシャー・ターボと呼ばれる圧縮比を高めてブースト圧を低く設定するターボエンジンも登場してきている。 VWが開発したツインチャージャー型TSIは低い回転域はスーパーチャージャーが担当し、高回転成ではターボに引き継がれる。しかし、シングルチャージャーのTSIでは1500回転という低い回転成でも最大トルクを産み出すことができるほどタイムラグは解決している。・・・・・・

○バリアプル・ノズル・ターボ(VN)と環境性能
さて、バリアブル・ノズル・ターボは最新のディーゼルエンジンに極めて重要な役割を果たしている。ディーゼルをクリーン化するためにERG(排出ガス循環システム)を使って排出ガス(主にC02)をシリンダーに還流することで、窒素酸化物生成の原因となる余分な酸素濃度を下げることができる。さらにシリンダー内の温度を冷やすことができるので、低温燃焼が可能だ。しかしタ一ボで過給された圧縮空気が押し込まれると酸素濃度は変化してしまう。従来はEGRバブルで還流する排出ガスを制御していたが、近年はEGRをターボの上流に還流させ、空気と一緒にシリンダーに押し込むターボシステムが開発されている。・・・・・・

○スーパーチャージャー
過給器はターボチャージャーが主力であるが、ジャガーとアウディはスーパーチャージャーを使うエンジンを持っている。ジャガーの場合は、新開発の5ℓV8の直噴エンジンをスーパーチャージャーで週給する。最大出力は510ps、最大トルクは625Nmを発揮しXFR、XKR、新型XJに搭載される。
ジャガーが採用した直噴技術はシリンダーの中央にインジェクターを持つスプレーガイド方式で、全負荷領域でストイキ燃焼を採用している。・・・・・・・

○結語
ここまで世界の自動車メーカーがどのように過給エンジンを開発してきたのか見てきたが、今後、過給エンジン(ディーゼルとガソリン)は、環境対策上、重要な技術となるはずだ。乗用車ディーゼルでは100%のエンジンがターボ化されており、またダウンサイジングと直噴を組み合わせたガソリンエンジンはターボ化することで・・・・・・

2010年3月26日金曜日

プラグインハイブリッドの起源 <瀧本藤夫氏 寄稿>









3月8日付の日経ECO JAPANに掲載されたプラグインハイブリッドの記事について、ご覧頂いた瀧本藤夫さんからプラグインハイブリッドの起源についてとても興味深い意見を頂きました。ご本人の了承が得られましたのでここに掲載させていただきます。
瀧本藤夫さんは、以前スバルの富士重工業に勤めていらっしゃった方で2008年に定年退職され、現在は技術コンサルタントや翻訳をされています。

日経ECO JAPAN記事
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20100304/103329/

以下転載本文

Plug-In HEV (PHEV)の概念は、米国UC-Davis (カリフォルニア大学デービス校)のAndrew Frank教授とAndrew Burke博士を中心とする人達が最初に提唱し、1998年頃はCharge-Depleting HEVと呼ばれていた。これに対してプリウス等、外部充電の必要のない従来のHEVをCharge-Sustaining HEVと呼んでいた。

2001年頃になると、Charge-Depleting HEVに替わってGrid-Connected HEVという呼び方とPlug-In HEVという呼び方が混在して使われるようになり、最近になってPlug-Inが優勢になって来ている。(Gridは電力会社の電力供給網、Plugは日本でコンセントと呼ぶWall Plugから由来する)

90年代後半に米国DOE主催、SAE運営によるFutureCar Challengeという、学生達が低公害車を製作する大学間のコンペがあり、 Frank教授はこれに参加するため学生達にPlug-InコンセプトのHEVを作らせていた。その当時はクリントン政権のPNGVプログラムの目標に沿ってTaurusクラスの5人乗り乗用車であり、97年に96年型Ford Taurusをベースとした車体にホンダの軽自動車エンジンと5速MTを使い、Jouleという名前の車が作られた。

Frank教授はもともとCVTの制御が専門で、Jouleの次の車を作るに当たり既存のCVTベルトとプーリのシステムに独自の油圧制御系を加えたものを使う希望を持っていた。そのために当時ホンダの軽自動車エンジンは回転方向が通常の逆で、入手可能だったCVT(ニッサン提供)と組み合わせられないため、エンジンはスバルが提供した軽乗用車用のものに変更されている。

車は99年に完成し、Coulombと名付けられた。車体はFordから提供されたMercury Sableのアルミコンセプトボディ(94年型の生産型を使ってアルミをプレスしたもの)、モータはUnique Mobility社の75kW級、バッテリはOvonic社のNiMH 18.6kWh。レイアウトはエンジン、CVT、モータが横1列に並び、互いにスプライン接続されているものであった。

またエンジンとCVTの間にはスバルのMT用クラッチが設けられ、バッテリは床下に敷き詰められていた。エンジンの補機類は全て取り外され、ステアリングを始め電動のものが装着されていた。燃費はCityで64.7MPG (≒27.5km/l)、Hwyで62MPG (≒26.4km/l)、航続距離は約300マイル (483km)であった。(UCDにはCDMがないので計測は外部に依頼)エンジンが動くのは、SOCが50%以下になった時と車速が50mph以上になった時のみ。※Coulomb詳細については、添付の技術論文を参照

PHEVコンセプトは当初カリフォルニア州のZEV(Zero Emission Vehicle)規制への対応という面から注目されるようになっていった。バッテリEVと水素を燃料とするFCVが完全なZEVとして認められているが、エンジンで走る車もエミッションの多寡に応じて部分的にZEVとしてカウントするPZEV(Partial ZEV)というカテゴリーが存在し、HEVでも市街地内では排気ガスを全く出さないようにバッテリのみのEV走行が好ましいとの理由から、EV走行が何マイル出来るかによってPZEVのポイントが調整される。

しかし、当時Plug-Inの考え方は余り受けがよくなく、「EVでもないのに外部充電が必要だなんて」と懐疑的な意見の人が多かった。特に自宅に夜間充電が出来るようなガレージのある家が少ない日本や欧州では論外という感じであった。風向きが変わってきたのは、通常の通勤には夜間電力利用による低コストが期待でき、遠出をした時も航続距離が確保できるという利便性が米国で強調されるようになってからで、トヨタプリウスのEV走行機能を利用して(米国向けには切替スイッチが未装着)、プリウスをPlug-InHEVに改造する業者が2005-6年頃からあちこちに出てきている。

CO2低減効果に関しては、EVと同様、地域毎に各種発電所の比率が異なるため一概には言えないが、日本や欧州の一部のように原子力発電や天然ガス発電の比率の多いところではPHEVによって低減できる。しかし米国や中国、インドなどではカリフォルニアなど一部の地域を除き石炭火力の比率が多く、現状では低減効果はあまり期待できないとされていた。しかし、この計算にもいろいろと不確定要素があり、車両のエネルギー効率が高いため、例え石炭火力発電の比率が多く、送電によるロスを考慮してもCO2低減になるという意見もある。

参考文献:
http://docs.google.com/fileview?id=0BwZlGfn1abyXYzZjZGMzYzAtNmQ1Yi00NGE5LWI3M2ItZDZlYWIzNjAyYTg4&hl=ja